最初に処刑されたのは、この年に起こった由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥(まるばしちゅうや)だと言われ、 他に、平井権八(歌舞伎では白井権八)、天一坊、八百屋お七など、歌舞伎や講談でおなじみの人物も多くいます。
江戸の代表的な侠客である幡随院長兵衛が、お尋ね者の侍である白井権八の見事な立ち回りを見て 「お若けえの お待ちなせえやし」と呼び止め、そこから「雉(きじ)も啼かずば打たれまいに」や 「阿波座鴉(からす)は難波潟」、「幡随院の長兵衛というけちな野郎でごぜえやす」など、 有名な台詞のやりとりが繰り広げられる鶴屋南北の名作も鈴ヶ森の刑場が舞台となっており、 今でも歌舞伎や講談、またドラマなどで演じられることの多い作品が多数あります。

歌舞伎や講談の舞台で今に名を残す人々

八百屋お七

本郷の八百屋の娘お七は、天和2年(1682)家が火災で燃えてしまいます。家を再建するまでの間、お寺に仮住まいをしますが、 そのお寺で吉三郎に出会い、一目で恋に落ちました。再建が終わり、家に戻りましたがお七はどうしても吉三郎を忘れることができず、 その一途な思いから「もう一度火事で類焼すれば会えるかもしれない」と思いつき、近所に付け火をしてしまいます。そして放火の罪で捕まったお七は、 天和3年(1683)、ここ鈴ヶ森で火炙りの刑を受けます。 その後、井原西鶴による「好色五人女」で取り上げられたことで、「八百屋お七」の恋が決定的に全国に広まりました。 現代にいたるまでに文学、歌舞伎、文楽、落語、映画、ドラマ、漫画…、日本の娯楽界のありとあらゆるジャンルで扱われてきました。 もう一度会いたい想いから、現代では放火の代わりに、禁じられた半鐘を乱打するお七の姿は、今もなお観客の涙を誘う名シーンとして親しまれています。

八百屋お七

実在した白井権八のモデルとなった平井権八は因幡の武家の生まれの鳥取藩士でありながら、 父の同僚を殺害、江戸へ渡ると今度は吉原の遊女・小紫と深い仲になり、 お金に困って次々に辻斬り、強盗殺人を重ねるという悪事を働いて、延宝7年(1679)、 25歳の若さで鈴ヶ森の刑場にてに処刑されてしまいます。 六郷の渡しを背景に見得をきる白井権八が浮世絵でも描かれており、 美しい容姿に似合わぬ不良性や強さを兼ね備えた権八は、江戸時代後半、 既に歌舞伎や小説のスターだったようです。

白井権八

こちらも実在の人物がモデルとなっており、江戸初期に江戸の花川戸で活躍した侠客の親分です。 腕っぷしが強く度胸もあり、荒くれ者の町奴たちを率いるリーダーであり、 水野十郎左衛門率いる同じく荒くれ者の青年武士団である旗本奴と対立し、 水野邸にて殺されてしまいました。 この二人を一躍有名にしたのは、四世鶴屋南北作『浮世柄比翼稲妻 (うきよつかひよくのいなづま) 』で、 特に大勢の雲助を相手に立回る権八とそこに来合せた長兵衛の出会いの「鈴ヶ森」の場が名高く、 役者のカッコよさが際立つ一幕として何度も繰り返し上演されています。

幡随院長兵衛
幡随院長兵衛と白井権八